日本でローヤルゼリーが広まったのはいつ?

ローヤルゼリーは、高い健康効果と美容効果をもつ健康食品として人気を集めています。日本はローヤルゼリーの消費量が非常に多く、国民1人あたりのローヤルゼリー消費量は世界1位といわれています。しかし、日本におけるローヤルゼリーの歴史は浅く、本格的に利用されるようになったのは数十年前のことです。

養蜂は古くから行われていた

・日本における養蜂の歴史
ミツバチと日本人との関わりは古くから続いており、7世紀には養蜂が試みられていたことが文献に記載されています。
また、平安時代には宮中にハチミツが献上されていた記録があり、平安末期には蜂が飼われていたとの記述が文献に残っています。

江戸時代には、現在の高知県である土佐藩や、現在の和歌山県と三重県南部にあたる紀州藩などで、巣箱を用いた養蜂が行われていました。
明治時代に入るとセイヨウミツバチが輸入され、それ以降、養蜂器具を用いた近代的な養蜂が盛んに行われるようになりました。

・ローヤルゼリー単体での利用はされていなかった
日本では養蜂は古くから行われていましたが、目的は専らハチミツであり、ローヤルゼリー単体での利用や研究は行われていませんでした。日本では長い間ローヤルゼリーはハチミツと区別されず、一緒に摂取されていました。

文献に初めて登場するのは明治時代

ローヤルゼリーについての記述がある最も古い日本の文献は、1889年(明治22年)の『養蜂改良説』です。著者は農学博士の玉利喜造博士で、この書物ではローヤルゼリーが「王家の舐物」という訳語で紹介されています。
また、1913年(大正2年)の徳田義信博士の著書『蜜蜂』では、ローヤルゼリーが「王乳」と呼ばれています。王乳は、現在でもローヤルゼリーの別名として一般的に使用されています。

ローマ教皇の命を救ったことで日本でも注目される

日本においてローヤルゼリーが広く知られるきっかけとなった出来事は、1954年に起こりました。

・ローヤルゼリーがローマ教皇を奇跡的に回復させた
1954年、当時のローマ教皇であるピオ12世が肺炎になり、危篤状態に陥りました。世界中が容態に注目する中、主治医がローヤルゼリーを投与したところ、驚くことに教皇の病状が大きく改善しました。
教皇は当時80歳を超えており、この回復は奇跡と呼ばれました。元気になった教皇は1958年の国際養蜂会議に出席し、ミツバチをたたえるスピーチを行っています。
この出来事は世界中に広がり、ローヤルゼリーの高い健康効果が広く知られるようになりました。

・週刊誌の記事が日本での知名度を高めた
ローマ教皇の命を救った出来事を受けて、1959年には日本の週刊誌にローヤルゼリーを「不老長寿の新薬」として紹介する記事が掲載されました。この記事は大きな反響を呼び、日本の一般の人々にもローヤルゼリーが広く認知されるようになりました。

国内の計画生産は1960年から

1956年には、養蜂家や研究者による共同研究が行われ、静岡県でローヤルゼリーの試験的な生産が行われました。
1957年には日本養蜂研究会会長の井上丹治氏が、プラスチック製の「人口王台」を利用したローヤルゼリーの量産技術を開発し、その後の計画生産の道筋をつくっています。
また、日本で広く知られるようになった1959年頃に海外からのローヤルゼリーの輸入が始まり、1960年には国内での計画生産が開始されています。

現在広く利用されているローヤルゼリーですが、日本に広まったのはほんの数十年前のことです。

日本での利用が広がるローヤルゼリー

・品質向上を目指した業界団体が設立されている
1960年以降、日本でのローヤルゼリーの利用が広く行われるようになり、1979年には業界団体である「全国ローヤルゼリー公正取引協議会」が設立されました。1987年には同協議会が社団法人として認可され、2012年には一般社団法人になっています。
同協議会は厳正な品質審査基準を設けており、品質審査をパスした製品には赤と黄色の「公正マーク」が表示されています。また、生ローヤルゼリーや乾燥ローヤルゼリーなどの基準を定めており、消費者が安心して摂取できる製品の流通に大きく貢献しています。

・人気が高まっているローヤルゼリー
日本人の健康や美容を支える健康食品として、今やローヤルゼリーは欠かすことのできない存在です。近年の健康志向の高まりを受けて、ローヤルゼリーの人気はさらに高まっています。
また、ローヤルゼリーの利用や研究が行われるようになったのは比較的最近のことであり、現在も盛んに研究が行われています。ローヤルゼリーの新たな効果が今後発見される可能性もあり、多くの期待がかけられています。

MENU